9.2.20

練習風景



グラムバングラ 企画者 営子フセインさんについて


私はこの国に住みだして今年で36年目、バングラデシュの誕生日と大体同じです。最初の20年間は母親としての責任で無我夢中の生活だったんですが、二人の息子が独立した後の15年間は、お陰様で精神的にも時間的にも余裕たっぷりの生活をさせてもらっています。
最初のうちは孤児院や寺小屋運営などのボランティア活動や日本語教師などで、大部分の時間を使っていたんですが、最近は年齢のこともあって、しんどくなってきて責任ある仕事からは遠のいています。
でもまだ20年位は残っているだろう私の人生、生きがいを見つけて元気に生きていかなくっちゃあいけません。
でも運よく私の生きがいとなること、すぐ見つかりました。それはこの国の良い点を日本の方に紹介することです。
バングラデシュは貧しくてずっと日本から援助される一方です。実際日本にはバングラデシュの悪いニュースしか伝えられていません。
洪水とかサイクロンとか・・・・。
・・・・私はこの国のものと結婚して永住の覚悟で住んでいます。
私はこの国のいろいろな人と知り合い、いろいろな経験をしたいのです。
バングラデシュは貧しい国ですが国民は皆、音楽を愛しています。音楽を愛している人の心は温かくて純粋です。言葉が通じなくても音楽を通じてお友達になれます。 音楽を通じてその国を理解できます。その国を好きになれます。
私は12年前から民俗楽器・太鼓をお稽古しています。初めは時間つぶし、ストレス解消、ボケ防止のつもりで始めたお稽古ですが、太鼓のその独特な音色にすっかりはまってしまいました。
今では日本人の方にお稽古をつけるまでになりました。太鼓を通じてお友達になった日本人の方は70名を越しています。私は太鼓を通じてほかのいろいろな民俗楽器を、そしてバングラデシュの民族音楽全般を好きになりました。 当たり前ですが自然と私の周りにはバングラの芸人が集まり交際範囲が広がりました。
それで私は数年前からこの芸人たちの奏でる素晴らしいバングラデシュの音楽文化を日本の方に紹介したいと思うようになりました。

去年は日本からのボランティアグループのツアーがあって、我が家を訪問される時間を組んでくださいました。その時私は、自身の36年間の体験談と、この国の音楽を聴いていただく企画をしました。(好評だったんです。感激してくださいました。)
その企画がきっかけで有志の方々が、6月に1カ月の日程の日本公演を企画してくださったんです。学校訪問などもする予定です。
海外遠征ですからちゃんとしたグループを作らなければなりません。
それで作ったグループが「グラム・バングラ フォーク ミュージカル グループ」です。6名全員プロフェッショナルで各々いろいろなところで活躍している芸人です。
そのうちの3名は愛知万博にも行ってハ゛ンク゛ラの音楽を紹介してきました。
でもなにせバングラデシュのいろいろな事情で芸人の待遇は良くありません。
彼らは生活するのに精いっぱいのようです。でも音楽を愛していて芸一筋に生きているものばかり。
問題は沢山あるんです。
日本で芸人を招待してくださる団体は皆、ボランティアです。やるからには、成功させたいですから頑張るしかありません。あちらこちらを回って宣伝し、支援をお願いしております。
運よく先日はバングラデシュのTVに取材されました。
9日にはTVスタディオに録音撮影に行くことになりました。
最近そんなことで忙しくしています。
ご理解と応援お願いします。     


                               営子フセイン    

最新情報


2月2日、我が家でのTV撮影済みました。これは何かの番組の中のたった7,8分ぐらいの放映らしいですが(12日に放映されます)グラム・バングラのリハーサル風景を3曲もバッチリ取っていきました。

演奏者と楽器の紹介6.太鼓 シュクマール・チョンドル・ダシュ


シュクマール・チョンドル・ダシュ


38歳、タンガイル出身
ドール演奏家
芸歴25年。10歳に音楽家のいとこからいろいろな打楽器を3年間習う。その後ダッカへ上京しウスタッド・アノアルダワルからドールを習いバウルの演奏家となる。愛知万博のために1ヶ月来日する。現在NGOの音楽セクションのプログラムで村を廻っている。


ドール



両面太鼓。ドールはバングラデッシュの民謡が始まったときから使われている歴史のある楽器。バングラディッシュ特有の音楽には欠かせない楽器だが、インドクラシカル音楽には出てこない。右側は耳掻きの形をした木で叩き、子牛の皮を竹の枠で張っている。左側は手で叩きメタルの枠の中で張られているのはヤギの皮だ。胴体はマンゴの木でてきており、両面を水牛の皮でしばる。木で叩く右側は常に少量の水でぬらして叩く。


演奏者と楽器の紹介5.タブラ シェコル・チョックロボティ


シェコル・

チョックロボティ


30歳、ラジバリ出身
タブラ奏者
幼少時代音楽のある環境にいたためタブラをおもちゃのようにして育つ。

6歳のとき公衆の前で歌にあわせて叩いたのが切掛けで素質を認められ師について習い始める。

12歳の頃にはすでにステージで活躍。どの楽器や分野の音楽とも即席で合わせて叩くことが出来、独奏もする。現在バングラデッシュ駐在日本人のためのタブラ教室を開いており、生徒は10年間で60名を越す。


タブラ

10-13世紀の北インドで今の形になった打楽器。高音と低音のふたつの太鼓を、指や手のひらで叩き、叩く場所によっていろいろな音色がでるようにつくられており、それぞれの音には呼び方がある。タブラ独特の複雑な音色での独奏も世界的に認められている。


演奏者と楽器の紹介4.弦楽器 モハメッド・アリフホック


モハメッド・アリフホック


35歳、ホリトプール出身
歌手、ドタラ奏者
父親が歌手の家に生まれ、9歳から歌で舞台に立ち始める。バングラデッシュの民族音楽の普及に努めており、愛知万博時には1ヶ月間来日し、バングラデッシュの民族音楽を紹介した。2年前からフリーのミュージシャンになりバングラデッシュではステージやテレビなどあらゆるメディアで活躍中。


ドタラ


4本弦の弦楽器。2本ずつ同じ音程で調弦してある。バングラデッシュの民謡には不可欠な独特な弾き語り用弦楽器で、これでリズムを刻み、メロディーを弾きながら歌手は歌を歌う。本体はニームの木で出来ており、やぎの皮が張ってある。またピックは水牛の骨や木でできている。

演奏者と楽器の紹介3.笛 モハマッド・ボズル


モハマッド・ボズル


55歳、ボラ出身
芸歴40年。いとこから8歳の時たて笛を習う。12歳でダッカへ来たことをきっかけに音楽の道を本格的に歩み始める。他にもバイオリン、ハーモニアム、ドタラなど様々な楽器をプロフェッショナルのレベルでこなすが全て自分の目と耳をたよりに独学で学び取った。バシの演奏をするときには12本の長さや太さが異なるものを持っている。 愛知万博のために1ヶ月来日する。現在国営ラジオ局に籍を置いており、フリーでバウルCDレコーディングやステージでも活躍中。クラシカル音楽も演奏する。


バシ


竹の笛。チッタゴン、シレットなどバングラデッシュの山間部にある竹でできたバシがよいとされる。長いバシは低い音、短いものは高い音が出、様々な種類がある為演奏家は自分に合ったバシをオーダーする。

演奏者と楽器の紹介2.歌とハーモニアム ジャマル




ジャマル


フリドプール出身、38歳。


ハーモニアム&シャリンダ&ヴァイオリンを演奏し歌も歌う。

10歳から音楽をはじめる。

ウスタッド・アノワルダワルのもとで14年間修行したあとバウル音楽家として本格的に活躍中。



ハーモニアム
作曲など音楽には欠かせない楽器のひとつで、他の楽器と合わせるときには、音程とメロディーをまとめる役わりをしている。

演奏者と楽器の紹介1.歌手 マハボバ・アクタール・シルピー




歌手 
マハボバ・
アクタール・シルピー



30歳、クスティア出身
歌手
ラロンの墓のあるクスティア地方出身。
8歳の時クスティアラロンアカデミーへ入学。ラロンギティーコンクールで優勝する。
その後勉強のため6年間音楽の世界を離れたが、結婚後ラロンギティの第一人者ウスタッドアッカチャニに見初められ歌を再開する。
現在フリーでステージ、テレビで活躍中。


歌いながら打楽器の演奏も同時にします。


楽器の紹介

プレーム・ジュリ
片方の指に2つの木片を挟んで打ち鳴らすパーカッション楽器。歌手が歌いながらこれでリズムを取る。

エクタラ
1本弦のリズム楽器。バングラデッシュの昔からの音楽に不可欠な楽器。瓜と竹と鉄線一本で出来ている。歌い手の音程に合わせて調律し、リズムを取りながら歌う。

グラムバングラの歌の紹介3.デシャトボド(愛国歌)

3.デシャトボド(愛国歌)

祖国バングラデシュを主題にした歌です。バングラデシュの人は国を愛する気持ちが半端でありません。美しい自然に囲まれた祖国を美しい人になぞらえて歌う情緒的な歌がたくさんある美しい歌です。たとえばバングラデシュの国歌はバングラデシュを黄金の国と称え、私はあなたを愛していると歌っているのです。

グラムバングラの歌の紹介2.ポリギティ(村の歌)

2.ポリギティ(村の歌)

ポリは村の意味で、村の自然や生活習慣、人々の主張や日々の生活を主題に歌われる民謡。船頭のバティヤリ、牛車のバワイヤ、愛する人を恋う歌などを演奏します。

グラムバングラの歌の紹介1. ラロンギティ(ラロンの歌)

1. ラロンギティ(ラロンの歌)



ラロンギティーとは、18-19世紀に生きたバウルの歌手・詩人、ラロンが115年の生涯の間に800近く残した信仰歌のこと。 バウルとは10-12世紀、仏教のサハジャ乗密教の修行僧によって始まった宗教哲学を伝える修行歌で、宗教、カースト、男女を区別することなく精神的完結を探求する民間修行者のグループ。ラロンは今も聖者として崇拝を集めており、クシュティアのラロン聖者廟には全国から多くのバロンが集まり、年に2回のラロン祭にはラロンをたたえて歌います。
ラロン・シャハ(Lalon Shah)はヒンドゥー教徒の家の生まれで、若い頃巡礼先で天然痘に罹り生死をさまよっているとき、彼の親となり師となるシラズ・シャハに出会い救われます。このシラズ氏はどの宗教にも属していない修行者であり、ラロンも世捨て人となり修行の道へ入り、バウルを歌うようになったのです。生前のラロンの元には、ヒンドゥー、イスラム教など宗教を問わず、多くの人が弟子入りをしました。
ラロンの歌の中には“身体の哲学”を歌った歌があります。ここでラロンは、“人の身体は寺院であり、その中に神が住む。より飾らない肉体にこそ神は宿りたがる”と歌い多くの人の支持を得ました。立派な寺院や神像を建てることのできない人々に自らの尊厳を説き、物に頼らない生き方の哲学を紹介したのです。ラロンギティーには抑え付けられた人々の知恵も集約されています。 (石山民子様、戸川昌彦様の文章より転載)